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1920s

[社会情勢・時代背景] 

多くの先進国の経済が第一次世界大戦後から急速に回復し、1920年代初頭には好景気に沸いた。政治や芸術などそれぞれの文化の力強さが強調され、ジャズミュージックやフラッパーのファッションや生活スタイルアール・デコさらに多くの発明や発見と製造業の成長とともに、消費者需要と願望が加速し生活様式の変化に繋がった。しかし、1929年ウォール街の暴落により、この時代は終わりを告げて世界恐慌の時代に入った。

[ファッション]

20世紀初頭、世界は大量生産時代の幕開けを迎える。ファッション業界も既製服への動きが始まり大衆消費時代を背景とし、既製服合わせたシンプルなスタイルが広がってきた。

必然的に「動きやすい」「働きやすい」機能的なウェアのデザインが求められるようになり、ポール・ポワレ(Paul Poiret)の打ち出していた東洋的な装飾を使用したスタイルもコルセットを外したとは言え、機能性の面で、やや時代遅れ。女性が豊満なバストを強調した、動きにくいコスチュームを身に着けるといったファッションは過去のものとなり、それよりも「動き」が重視されるように。服装からも余計な装飾が削られていきました。シャネル(Chanel)は、装飾を排除したよりシンプルなデザインを打ち出した。

ギャルルソンヌ・ルックは 1920 年代の象徴的なスタイルで知的、行動的、洗練されたモダンガールを指すスタイル。直訳すると「男子のような娘」の意味で、髪はショートカット、胸を強調しない直線的で細身のシルエッ ト、膝下までのスカートが特徴的で、シャネルはこのような時代の流れを象徴するかのように、次のように語ったそうだ。「ファッションは着飾るものではありません。着るものを選ぶことにより自身の生き方を表現するものなのです。シャネル以外にも多くのデザイナーがギャルソンヌ・ルックで活躍。ジャンパトゥJean Patou)ランバンLANVINヴィオネ Vionnet)らがその代表として挙げられる。

[フラッパー]

1920年代に欧米で流行したファッション、生活スタイルを好んだ「新しい」若い女性を指すスラング。それまで女性らしいとされてきた装いや行動様式ではなく、膝丈の短いスカート、ショートヘアのボブカット、ジャズ音楽などを好んで、濃いメイクアップで強い酒を飲み、性交渉、喫煙、ドライブを積極的に楽しむという、以前までの女性に求められてきた社会的、性的規範を軽視した女性たちを意味する。


[メイクアップ]

1920年代以前の数十年は遊び心のあるヘアーやメイクアップはストリッパーや売春婦の象徴だった為「社会的に適切でない」とされ一般的ではなかったが、1910年代に映画の都ハリウッドが誕生し、色のない生活にうんざりしていた若い女性たちの間でハリウッドスターのヘアー、メイクアップや衣装が注目された。1920年代中頃にはメイクアップは生活の一部となり公共の場でもメイクアップをするようになり、1920年代終わりにはファッションや品行方正に見せる為だけのメイクアップではなくエチケットとして変化していきました。

「メイクアップ」は女性が戦争の惨事から立ち直るための手助けの一つとして大きな役割を果たしましたが、当時の家庭の照明は暗く製品の色は少なく品質も悪いうえに参考にできる資料もなく一般の人たちがメイクアップをする 経験もなかったためクオリティーとしては良くありませんでした。



[ファンデーション]

ファンデーションクリームは、潤いを与え乾燥を整えてから滑らかにするためにパウダーの前に使用された。多くの女性にとってフェイスパウダー(おしろい)はメイク用品の中で一番重要なものでしたが、色のバリエーションは少なく白くするのが一般的で、ライトピンク(フレッシュ、ナチュラル)、ダークピンク、サンディーオレンジ(ブルネット)の3色しか無かったため、自分の色を作るために色を混ぜたり、コントアリングの様に顔の中でも違う色を使い、塗布する際はパフかセーム皮が使われていた。

コントアリングとは、シェーディングとハイライトを使って、顔の立体感を強調するメイク方法のことです


[小話]

日焼け肌、“日焼け”の始まりは1928年頃、突然雑誌の記事に取り上げられ新しく日焼け用の製品が市場に 出回り始めた。それまでは、白い肌が美しいとされ、日焼けは労働のイメージが強く中級〜上流階級の女性にとっては「ファッショナブルではない」と思われていた。


[チーク]

ルージュは自然な色味で、大胆に、自然に見える様にしっかり外側をブレンドしてなじませる。そのお陰で女性達は健康的で紅潮した様な頬をしていた。リップスティックとルージュの色は一緒か近い色が良しとされていた。基本はピンク色で、パステルピンクから暗めのローズ色まであった。褐色の肌や日焼け肌にはオレンジ色が良いとされ、1920年代後半には日焼け肌が受け入れられる様になった。ルージュの質感はマットで形態は、パウダー状、液体、ペーストで小さなポッドや缶やコンパクトに入っていた。

丸顔に見せる様に円形に入れ、時に健康的で若く見せたりクマを消すために目の下や、眉毛の下にも乗せる事もあった。


[眉毛]

細くて長い眉は1920年代の映画スター達を象徴するものである。 この頃の眉の特徴は細くて長く、こめかみに向かって滑らかなカーブか横にまっすぐ。ぺースト、ブロックマスカラ、鉛筆などを使って描いていた。クララ・ボウ(Clara Bow)の鉛筆で描いた眉は、クララ自信の眉より下に描かれ、頬の方まで曲線 を描きながら垂れ下がっている。ルイス・ブルックス(Louise Brooks)は直線的で長い眉が特徴。


しかし一般的な女性が毎日するメイクアップは、映画スター達の眉より少し太めで自然な仕上がりであった。一部の女性は鉛筆で映画スター達の様に書き上げるのではなく、少量のワセリンを使って形を整え滑らかに見せていた。


[アイシャドウ] 

一般的にアイシャドーは日常的に使用されるのではなく、夜会やフォーマルなパーティーの時だけに使用しました。アイシャドーは指で上まぶたに塗布し、ソフトスモーキーアイを作った。 横に引き伸ばすというより、丸く円形で眉に向かって消えていくようにブレンドしてグラデーションを。映画の世界で女優たちは、普段の現実世界メイクよりももっと濃くアイシャドーを塗り、目を強調させた。

昼間にアイシャドーを必ずしたわけではありませが、アイシャドーを塗る際はとてもさり気なく少し暗めのフェイスパウダーを使う程度。色の種類は基本的にグレイ、黒、深紫(プラム)、茶色。アイライナーは眉のぺンシルを使用してアイライン描き、まつげの生えているラインより少し太めに描き指でこすって目の幅を広げて見せるようにした。



[まつ毛]

当時のマスカラはまだ現代のものの様に長さやカールを作る様なものではなく、 主にまつ毛を暗い色にするといったものだった。マスカラの形態は、液体、ぺースト、固形のケーキで小さい平らなブラシでまつげに塗布した。眉毛にも使用でき、色の種類は黒と茶。

ビューラーは1923年に Kurlash によって発明されました。当時はまだとても高価であったにも関わらず大きな成功を収めます。形状は現代のビューラーとさほど変わりません。


[口紅]

当時のリップは、赤、ピンク、オレンジが基本の色で、それらの色を説明するのに 花の名前など(ポピー、ローズ、ラズベリーなど)を用いて宣伝した。ビューティー本や雑誌などでは「その人それぞれの肌のトーンにより合った色を選ぶように」とアドバイスをしていた。リップポマード(今でいうリップクリーム)は小さなポッドに入っていて、チークにも使われた。1915年に モーリス・レヴィ(Maurice Levy)によって、金属またはプラスチックで作られた写真のようなリップスティックが開発された。


1920年代のメイクと言えば、映画スターのクララ・ボウ(Clara Bow)にちなんだ“cupid’s bow”の リップの形が代表的だ。小さくて人形の様な口に成るように、上唇は元の唇よりも外側にハート型を描くようにラインを取る。下唇は、下唇の中央部分のみ自然の唇のラインより大きくリップを塗った。

※キューピット・ボウとは、天使の弓のように見える上唇のM字型ラインを言います。


[ネイル]

ニトロセルロースが基本成分の液状ネイルポリッシュが主流になって、多くの製品が製造され始めたが初期のものはしっかり定着せずすぐに削れてしまっていたが、このネイルポリッシュが製造された1920年代が起源となり現代に至るネイルポリッシュ産業が始まった。

薄っすらと色付いていて光沢のあるネイルが主流。最初の製品は、ソフトな透き通る様なピンクか透明なもので、自然な仕上がりを求めていたが、この時代の 終わりにはハッキリとした色や、パールの様な輝きのあるものも登場し、選択肢が増えた。またゴールドやシルバー、パールのパウダーをクリアのネイルポリッシュに混ぜて、メタリックな質感のネイルも誕生した。1920年代後半には服の色とネイルを合わせるという概念が生まれた。ネイルの形はオーバル型が主流で他にはハーフムーンマニキュアと呼ばれたもっと尖らせたスタイルも生まれ人気があった。












[ヘアー]

1920年のショートボブの流行は、女性の「解放」という思想へつながり「ボブ」というワードは文化的な役割へとつながった。

当初、簡単なドライカットだけではなく、専門的なスキルが必要とされたこともあり、多くの美容師がボブスタイルを受け入れられなかったがボブスタイルの流行により更なる専門性を深めるきっかけとなった。

シャンプーの使用が広まり、さらに多種多様の新しいパーママシーンが導入される時代であった。パーマの歴史は1880年マルセル・グラトウ(Marcel Grateau)によって創案され、1909年カール・ネスラー(Karl Nesseler)によって最初のパーママシーンが導入された。

20年代は、女性の意識の変化、生き方が大きくスタイルとして反影された貴重な時代、女性は女性らしく、慎ましく、しとやかに品よくを良しとされた観念がくつがえさせられ女性が躍動的に人生を謳歌するという意思表明をスタイルとして表現したと言えます。1920年代は、女性が男性との性差をなくそうとするジェンダーレスの走りといえ、これまでは大きなシルエットのヘアが女性美の象徴であったが、知的で活動的、洗練された印象を持つ断髪スタイルが隆盛した。


はしりは、1910年代後期にダンサーをしていたアイリーンキャッスルIrene Castle)。当時としては異国情緒が漂いエキゾチックで魅惑的なスタイルが多くみられた。



[フォルム]

ストレートボブにおいては、ルイーズ・ブルックス(Louise Brooks)に見られるシングルボブの様にえり足ギリギリからサイドに向かって一直線上に切られた重たくシンプルなボブが代表的である。イートンクロップの様にえり足を刈り込んだボブスタイルが主流でジョセフィンベイカー(Josephine Baker)のようにたっぷりのオイルやラッカーを塗ったスタイルがあげられる。えり足に関してはイートンクロップの様に刈り上げられたり、ツーブロック状に切られ、よりボーイッシュな印象を与えるものも流行した。

前髪や顔まわりの特徴としてストレートボブでは、前髪は厚めで重たく直線上に切られ顔まわりがスクエアになるのが特徴。前髪の長さは眉上の長さで横幅もワイドに広く切られており目元をより強く見せ印象深さを与える。


[ウェーブ]

1920年後期に流行しウェーブスタイルは、ボブベースに施してある為重たいフォルムになっていてアイロンで作るマルセルウェーブやポマードなどをつけて手で作るフィンガーウェーブは造形的でフロントを中心にウェーブを施されていた。丸みや曲線が生じアウトラインも柔らかくなるので、華やかでフェミニンな印象。クララボウ(Clara Bow)のようなパーマスタイルになるとエアリーになりフォルムのウエイトは軽くなりショートスタイルのような印象を与え、 活発な印象やコケティッシュなイメージを与えていた。

ウェーブスタイルにおいては、フォルムとバングは連動しておりウェーブの大きさや顔への髪のかかり方で、変化をつけて楽しんだ。パートは基本的にサイドパートで7:3~8:2の分け方が多く9:1も見受けられ、深めできっちりとした直線の分け目となっている。ストレートボブと同様、目と眉に髪がかからない。チーク下からエラに関してもスッキリ輪郭を出しており、顔まわりに動きが出る事でぬけ感や軽さが生じている。



[質感]

質感のバランスやボリュームなども1920年代特有のバランスをかもしだしており、ストレートボブにおいては、スタイリング剤はオイルが用いられライトなツヤを出すものからフィンガーウェーブやマルセルウェーブに至ってはポマード(ブリリアンティン)等を用いてウェットでグロッシーな質感に仕上げたりしている。トップのボリュームはつぶしてフラットにおさえているのが特徴的でパートを深いとことまで引いてあることでスタイリング剤の効果でぺたんとした印象になっている。

パーマスタイルになるとドライで軽やかな質感が多く、形状は、均一的で細かいウェーブという印象で横波の形状でスタイルに装飾性をうみだしている。ボリュームにおいては、ウェーブがつく事で一見ボリュームが大きくなる予測がつくが、ポマード等をしっかりつけてスタイリングしている為コンパクトに仕上がっている。

 ウェットな質感である事とトップのボリュームを抑える事で横広がりのボリュームにしたり、クララボウのようにサイドは抑えトップにボリュームを持ってくる等、スタイルのバリエーションがひろがった。また不規則な動きがでる為よりぬけ感が出やすくなりました。


-メンズ- 

1920年代この頃のメンズスタイルは、綺麗に整えられたヘアスタイルが流行していた。髪を短く刈り、トップは長く伸ばしてトニック・ヘアオイル・ポマード等をなでつけた。このスタイルから女性のイートンクロップにつながり性の差異を超えて自由に考え行動しようという考え方であるアンドロジナスな感覚がファッションにも新しいセンセーションを与えた。

イートンクロップ

1440年代、英のヘンリー6世によって創設されたイギリス最古の男子校の「イートンカレッジ」の男子学生のヘアスタイルから生まれている。


[フォルム]

頭の形がそのままでるようなフラットなフォルムで、分け目を7:3~9:1にしっかり直線状にサイドパートやセンターパートにしたりオールバックになでつけたりしていた。スタイリングもポマードやヘアトニック・ヘアオイルなどできっちりとくしで整えられ顔まわりは髪が顔にかからないようにして顔を全面的にあらわにしていた。もみあげも角度をつけカットされていた。(現在のノービン)ヒゲもどこかにワンポイントで生やす人が多く、上唇の幅と同じ幅に整えたオリジナルスタッシュが人気があり「美しい男」も注目された。

理容室にいってヒゲを整えていたが大恐慌後自宅で定期的に剃るようになった。



※ここには無い豊富な画像はメンバーページでご覧いただけます!



[映画]

・アルダルシアの犬     https://youtu.be/A6VQgaY0_8E

・ジャズシンガー     https://youtu.be/YP00IQ60ZP0

20s舞台の現代映画


[音楽]

ダンスバンドの黄金期が始まった1920年。また1910年代にニューオリンズにて誕生したジャズがシカゴを経て、1922年頃にルイ・アームストロング等の多くのミュージシャン達が職を求めてニューヨークに拠点を移した。こうしてニューヨークは「ジャズの聖地」としてジャズ文化の中心地に躍り出た。


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-JAZZ-






-Dance-





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