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1930s


[社会情勢・時代背景] 

1929年NYの株式市場の暴落を皮切りに世界大恐慌で幕を開けました。一時アメリカでは国民の約4分の1が職を失い、人々の生活や意識を変え、現実から逃れたい気持ちの現れか、ハリウッド黄金期/Golden age of Hollywood といわれる程に、映画産業は盛んになり沢山の良質な映画館が生まれま)といわれる程に映画産業は盛んになり沢山の良質な映画館が生まれましたが、次第にヨーロッパ各国、日本などアジア諸国にも影響を受け、資本主義各国は恐慌からの脱出策を模索する中対立を深め、1930年代後半には第二次世界大戦に突入していきます


[ファッション]

20年代に流行したボーイッシュでストンとした直線的なシルエットよりも、スカートの丈は長めになりウエスト部分や体の曲線の分かるような細身でエレガントなスタイルが中心となります。女性の社会進出に伴って求められたのは動きやすさや機能性ではなく女性らしさでした。フリルやフレアなどが好まれトレンドとなっていきました。スポーツやリゾートシーンで女性にもカジュアルなパンツルックは好まれ、マリンルックのパンツスタイルも流行しました。


Coco Chanel vs Elsa Schiaparelli


30年代以前のアメリカファッションの主流はパリのオートクチュールのコピー品であり、依然としてパリがアメリカでも強い影響力を持っていました。当時人気ファッションブランドであったシャネルは1931年にハリウッドのプロデューサーの依頼で映画の衣装製作の為ハリウッド進出を果たしますが、スクリーン上では地味で見栄えの悪いシャネルの衣装は不評でわすか2作を手がけフランスに帰国してしまいます。一方ライバルのエルザ・スキャパレリ色彩豊かなデザインやトロンプルイユはフランスで批判を浴びる中アメリカではシャネル以上の成功を納め、イヴ・サンローラン、ジャン・ール・ゴルチエ 、トムフォード、によるッチのコレクションなどに影響を与えま した。





[メイクアップ]

大恐慌にも女性の化粧への熱は衰えませんでした。緑や青やライラック色がパリで生まれ、肌ではなく服の色に合わせて化粧するという考えが生まれました。すでにおしろいで大儲けをしていた化粧品会社は、ココ・シャネルという天才のおかげで、今度はブロンズのパウダーでさらに売り上げを増やしました。お洒落に敏感な気まぐれな女性達の間では、陶器のような肌に代わってアウトドアー風の健康的な肌が人気となりました。ほとんどの女性が、まつ毛カーラーや付けまつ毛の使用、定期的な美容院通いに加え、さまざまなメイクアップ用品を持つようになります。


-ファンデーション-

ベースは、スティックファンデーション、ケークまたはソフトケークを使用することで、

マット、セミマットの肌を作ります。

・Max factor pancake foundation

・vanishing cream

・Max factor face powder colors /1932

・マックスファクターがスティックファンデーションを発売


-チーク-





Heart shaped face

チークはあまり主張しないのが主流。派手なピンク等でチークを強調するよりも肌馴染みの良い色のねりチークで当時流行していたハート型の顔に近づくようにコントアーの要領で、頬骨から耳にかけて幅を出すように入れていた。

顔の幅がせまいと耳たぶまで塗っていた。


コントアーとは、シェーディングとハイライ

トを使って、顔の立体感を強調するメイク方

のこと



-眉毛-

とても細く整えた眉が特徴で、全剃りしたものもみられた。細く半月を描くよう外へ向かって高く、元の眉尻より長めに、シャープに。20sは直線的で下がり気味に低い位 置に描かれていたのに比べると30年代は高く大きなアーチ型であった。


-Eyeshadow-


くすんだような寒色やブラウンのシャドーをアイホールへ広げていき、仕上げにヴァセリンやオイルで艶を出すのが定番だった。イブニングルックにはメタリックなものも使われ、さらに目元に深みを出 すときにはブラウンのペンシルでダブルラインを上瞼にひいていた。


-まつ毛-


当時は水で溶かして使うケーキタイプが主流で、まつげは上下ともに細く一本一本が綺麗にしっかりとセパレートされシャープで長いまつげに仕上げていた。 まつ毛カーラーや付けまつ毛の使用され始め、上まつ毛のボリュームを出すときには付けまつ毛もよく使わ れていたが、太いボリュームのあるまつ毛は好まれなかった。


-口紅-

20年代のキューピットボウから、30年代はよりナチュラルな形になり、オーバーリップ目でアウトカーブのふっくら丸みのある形になる。色は赤色が主流。2色を使い薄い色を下唇にのせて立体感を出すテクニック が流行った。

※キューピット・ボウとは、天使の弓のように見える上唇のM字型ラインを言います。



[ヘアー]

ファッションにおいて1910年代初頭の細身ながら女性らしくソフトでやわらかなラインが復活し、それにリ ンクするようにヘアも直線的な断髪スタイルから女性らしい長めのレングスやボリューミーでソフトなウェー ブが好まれるようになりました。当時の女性にとって閉塞感のある現実から解放してくれたのは映画の世界で あり、ハリウッド女優のグラマラスで華やかな世界が当時の女性のあこがれとなりアイコンとなっていきまし た。ヘアはカーラーやパーマ、マルセルウェーブ等でエレガントなデザインを当時のハリウッド女優達が時間 をかけてキレイに仕上げていた様に一般女性も同様に時間をかけるようになっていきました。カーリーヘアと 帽子をあわせてコーディネートを楽しんだりもしていた。また、ブロンドヘアも ジーン・ハーロウ(JeanHarlow)等がトレンドセッターとなり流行したが、26歳の時に肝臓をわずらって死に至ったことでヘアカラーは 有毒性のあるものと憶測が広まりプラチナブロンドは衰退したという説もある。



-フォルム-

この頃のレングスはショートから鎖骨下に至までバリエーションは多くみられる。ウエイトは重くなったス タイルが主流。この時代前髪はなくなりパートは8:2~9:1が代表的で額にかからない様にサイドになが され大きなS字のカールで目元やチークに軽くかかり貴品や色気などが特徴的。ハリウッド女優などは顔立ちの 美しさを全面的にみ得るように髪が顔にかかる事は最小限に留められており表情の美しさを印象づけている。1930年初期は、細かいウェーブだったがレングスも伸びるとともに大きなウェーブになっていった。中期に なるとロングに伸ばした髪に波状のウェーブをつけたバレルカールも流行した。

アイロンテクニックが向上した事で縦ロール状のスタイリングもみられるようになった。スタイリング剤 は、スプレーなどで頭をふっても形が崩れないほどしっかり固められていたスタイルが多くみられる一方、マレーネ・ディートリッヒのようなカールを散らしてドライな質感で躍動感やぬけ感を表 現したり、キャサリン・ヘプバーン のように、カジュアルで飾らない質感もみられ た。。



メンズ

30年代に入り、映画が大衆に浸透したことにより男性も俳優やミュージシャンなどのスタイルを追いかけ始めた年代と言われています。フランクシナトラエロール・フリンダグラス・フェアジミー・スチュアートなどのオイルベース のポマードに幅広いコームスタイルのサイドスリークやスリックバックは引き続きメンズスタイルの主流で、TPOに関わらず他のスタイルはほぼみられずスーツスタイルはもちろん、カジュアルスタイルや下着の広告までも同じスタイルという浸透ぶりでしたが、20年代までにみられたセンター分けは減少し、分け目はサイドが 主流となりポンパドールやリーゼントスタイルの流行を感じさせるような高さが出るようになってきました。クラーク・ゲーブルの影響によりペンシルマスタッシュの流行、サイドスリークでペンシルマスタッシュの彼のスタイルは30年代を代表するスタイルだったと言えます。


※豊富な画像はメンバーページでご覧いただけます!


[映画]

・或る夜の出来事 https://youtu.be/q0oAbI_Uw68

風と共に去りぬ https://youtu.be/ja1fqOo4ukc



30s舞台の現代映画


[音楽]

アメリカ中が大不況に襲われ多くの人が職を失っていた時代。レコードは買えなくても、そこにはラジオがあ り音楽は街で流れ続けていた。時代が暗いからこそ人々は楽しいダンスや音楽を求め、そこから聴こえる ジャズという音楽に一筋の明るい光、未来への希望を期待するようになった。この結果生まれたのが陽気で自 然と体が踊り出してしまうような「スウィング・ジャズ」でした。


おすすめのプレイリスト


・Blues      




・Jazz



・Swing jazz




・Dance



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