top of page

1980s

[社会情勢・時代背景] 

1980年代は国際情勢が大きく動いた時代でした。 イギリスのマーガレット・サッチャー、アメリカのロナルド・レーガン、日本の中曽根康弘など、新保守主義が台頭し、現在まで続く自由主義経済・グローバリゼーションが本格化を見せる時期でした。

また、70年代に一時東西対立が融和していた冷戦体制が80年のソ連のアフガニスタン侵攻により激化。しかし、ソ連の社会主義型経済構造の限界と85年にゴルバチョフが書記長に就任し掲げた「ペレストロイカ」の影響で、東ヨーロッパ諸国の民主化運動が激化し89年11月にはベルリンの壁が崩壊。民主化が一気に進むと同時にバルト三国の独立にまで波及しました。89年12月、「マルタ会議」において約44年続いた冷戦が終結し、91年にソ連は崩壊しました。 アジアでは韓国、シンガポール、台湾、香港などが経済成長を遂げている一方で、北朝鮮による大韓航空機爆破事件(87年)、中国で天安門事件(89年)が起きるなど、冷戦構造を温存した事件が起きたり中東でのレバノン内戦(75〜90年)、イラン・イラク戦争(80〜88年)などがあり不安定な時期でした。

80年代の日本経済は高度経済成長期(1955〜73年)ほどではないものの、経済成長を達成していてアメリカやイギリス、ドイツ、オーストラリアなどの先進国各国がマイナス成長を記録する中、日本経済は安定成長期と呼ばれていました。85年、アメリカを中心としたG5がまとめた「プラザ合意」により円高ドル安が進行。円高不況が危惧されたが結果的には日本経済は回復し、87年から「バブル景気」へと突入していきました。また80年代はサブカルの時代とも言える程多様性に富んだ時代でした。80年代初頭「ニューウェイブ」と呼ばれるサブカル文化の旗手達が現れる。音楽ではYMO、漫画では大友克洋が脚光を浴び始めニューウェイブが始まりました。また、漫才、お笑い第三世代ブーム、スペースインベーダー、ファミコンブームでテレビゲームが流行り、ヤマト、ガンダムブームでアニメがそれぞれ若者文化の一部として確立し認知されていきました。現在のサブカルチャー全般はこの80年代に確立された各ジャンルがベースとなって発展していったと言っても過言ではないほど重要な時代である。1989年1月、昭和天皇が崩御され昭和から平成へと元号が変わりました。


[ファッション]

80年代はパープルやグリーンといった原色やグリッターカラーなど派手で鮮やかな色彩が人気でとにかくカラフルさが特徴でした。この時代、多くのサブカルチャーが誕生しファッションにも多大な影響を及ぼした。例えば83年頃に、ジェーン・フォンダが火付け役となり、エアロビクスが大流行。アメリカのエクササイズ感が世界で大きく受け入れられた。それによりレッグウォーマーやヘッドバンドが人気のアイテムとなった。これがスポーツファッションの始まりで、デザイナー達はポリウレタンを取り入れ、体にぴったりしてセクシーな上に着やすい服を作りました。

-当時のサブカル-

『ニューロマンティック』

70年代後半からパンクが停滞し始めた中、新たな刺激と表現方法を模索し始めた若者たちがロンドンソーホーにあるクラブ『ゴシップ』でスタートしたパーティーに集まるようになりました。その後、ビリーズ、ブリッツへと場所を変えたパーティーは、ロンドン随一の人気を誇るクラブイべントへと成長。そこには厳しいドレスコードがあり、派手な服や奇抜なヘアスタイル、メイクが必須でできるだけ個性的なファッションが良いとされていました。アート・スクールの学生やファッション・デザイナーらの溜まり場と化し、"ブリッツ・キッズ"と言われました。ニュー・ロマンティックのルーツはクラブシーンから生まれました。


『ヒップホップ』

ヒップホップの発祥地はニューヨークのサウスブロンクス。1970年代当時、世間ではディスコが大ブームでしたが、アフリカ系アメリカ人の若者達は貧しくディスコに遊び に行くお金がありませんでした。そこで、彼らはサウスブロンクスのマンションや公園に集まりブロック・パーティーと呼ばれるパ ーティーをするようになります。DJがかける音楽で踊るブレイクダンサー、ラップするMC、そしてグラフ ィティーの要素が加わり、ヒップホップという文化が誕生しました。80年代前半ラップを世界に広めた伝説のグループRUNDMC。彼らが愛用したアデ ィダスのスニーカーやジャージが当時流行るなどファッションにも強い影響力を持っていました。スニーカー、ジャージ、ベースボールキャップなどのアイテムをファ ッションに取り入れたスタイル。そのスタイリングは数々の変化を遂げつつ世界的に広まり、ニューヨークで生まれたこのファッション は今やカジュアルルックを代表するものになりました。


-小話-

ジャージを着るのは『俺は運動着をおしゃれに着こなせるよ』という意思表明 で『B-BOYのために作られていない物をHIP HOPらしく着る』『シューズのヒモを緩める』『ハットを浅く被る』『アクセサリーたくさ んする』というのは、『こんな踊りにくい格好でもこんなに上手く踊れる』という アピールでした。因みに『B-BOY』とは、DJがターンテーブルを回し、ブレイクビーツをに合わせて踊る者、またはラップの合間 (break) に踊る者を「ブレイク・ボーイ (break boy)」あるいは「ビー・ボーイング (B-boying)」と呼んでイタチ言われています。また「ブレイキン・ボーイ (breakin' boy)」、「ビート・ボーイ (beat-boy)」と呼んだも言われています。


パリではアズディン・アライア(AZZEDINE ALAIA)が体のラインを強調したボディコンスタイルを発表しました。

80年代はスーパーモデルの時代でもあり、『ヴォーグ』をはじめとする各国の雑誌や広告で起用されファッションモデルは国際的に有名となりました。


1982年春夏のパリコレクションで川久保玲( COMME des GARÇONS )と山本耀司( Yohji Yamamoto)が作品を発表し、ファッション界に黒の衝撃を与えた。ヨーロッパの伝統志向が強まり、構築的なスタイルが支配するパリ・モード界において、パンクを進化させた破れて非構築的なスタイルは欧米ファッション界は大きな衝撃的で、賛否両論が沸いた。その革新性と芸術性は後々高く評価され、マルジェラマックイーン等、後進のデザイナーに影響を与えるものとなった。「DCブランド」とも呼ばれ、その他に三宅一生のイッセイ・ミヤケや、高田賢三の「KENZO」などがある。


-日本-

80年代の日本も世界同様に女性の社会進出が進んだ時代でした。

「キャリア・ファッション」が浸透した。またバブル景気に突入し人々のブランド志向が強まり、どのブランドの服を着て、どこの街に出かけるかがアイデンティティーのひとつになっていきました。ファッションの方向性がそれぞれのライフスタイルに合わせて枝分かれし、ブランドのオープンや雑誌の創刊が相次ぎ、さらに渋谷、原宿、銀座といった街とファッションが結びついて、それぞれのコンセプトが強くなった時代でした。

80年代前半は「消費社会」を背景にニュートラ、ハマトラ、プレッピー、JJスタイル、ポパイ系などアメリカの大学生をロールモデルにしたライフスタイルが提案された。80年代半ばになると「若さ、変化」のカウンターカルチャーが盛り上がり、子供的な価値観が注目される。海外の模倣ではなく、初めて日本独自のファッションDCブランド(デザイナーズとキャラクターズの略)が台頭した。その後「ボディコン」「イタリアンカジュアル」「ヒップホップスタイル」等、次々と新しいカルチャーが輸入され、商品化され若者は消費していきました。ファッションはギャルソンが先導を切ったカラス族、JJによって注目されたハマトラ・アメリカンファッションからの影響でブレっピー、音楽的影響から光のエッセンスを表現したニューウェーブスタイルに、雑誌『olive』が打ち出したガーリーなピンクハウス風スタイル、リセエンヌ風、少年的な要素を持つ少女、末期にはDCブランドブームの反動から女性を中心にセクシー性をアピールするボディコンシャススタイル、デニムファッション、スポーツスタイル等、大きく広がりを見せていきました。

※ヘアーメイクの詳細、豊富な画像はメンバーページでご覧いただけます!


[映画]

・グレムリン      https://youtu.be/B-uYP8o-gvY

・グーニーズ https://youtu.be/hM5cj8OZZhk

バック・トゥ・ザ・フューチャー   https://youtu.be/Psxktpxkc6o

スタンド・バイ・ミー https://youtu.be/pHa4pvspCqc

セーラー服と機関銃   https://youtu.be/tmKmDeksMaM






80s舞台の現代映画




[音楽]

1980年代の音楽はMTVの登場とその人気により、アーティストに付随するイメージはかつてないほど重要になった。ポップスターとその音楽は、MTVの助けを借りて、ファンのイメージへの関心を高めていった。マドンナ、マイケルジャクソンなどこれまでにない新しい種類のスターが誕生し、そのジャンルの象徴となって新しくファッションやヘアスタイルなどへ影響を与えた。また、テクノロジーの発展によりCD、ウォークマンなどが一般市民に普及し、音楽はより身近なものへと変化した。シンセサイザーの使用に関連してデジタル録音の使用が増加し、シンセポップ音楽や非伝統的な楽器を特徴とするその他の電子ジャンルの人気が高まっていった。1980年代は大きな所得格差の時代の始まりを反映し、豊かさに焦点を当てた音楽に反映された。1980年代後半、グラムメタルは米国および世界で最大かつ最も商業的に成功した音楽ブランドになった。ヒップホップ、ニューウェーブ、ヘアメタルなど、いくつかの新しいジャンルが登場し、今日の音楽に影響を与えている。


ディスコ、ファンク、ソフトロック、R&Bなどの西洋の影響を受けた、大人志向のジャンルであるシティポップも、日本のテクノロジーブームで人気を博し、このジャンルでは杏里と山下達郎などが人気だった。ザ・スター・クラブやG.I.S.Mなどのバンドで日本のハードコアが登場、日本のアイドルグループおニャン子クラブなどが10代のファンと若者のファンのアイドルグループとして始まった。


Spotify 80s hits


City pop


シティポップ Japanese mix


Tokyo at night 80年代





Comments


© Copyright JBL
© Copyright JBL
bottom of page