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1990s

[社会情勢・時代背景] 

1991年に湾岸戦争が始まり、年末にはソ連が崩壊。92年にはアメリカ、ロサンゼルスでは大規模な人種暴動が起きました。数日間の暴動ではあったが、単なる黒人と白人の対立にとどまらず、ロサンゼルスという多人種都市において様々な人種を巻き込んで広がったこと、また被害がきわめて大きかったことなどから、多くの映画や小説でも描かれました。

ヨーロッパでは「EU連合」が発足。世界は情報・通信などあらゆる面 で一体化を強めていきます。アメリカの影響力がきわ めて強大化し、アメリカの基準が世界の基準であるかのようなアメリカ中心のグローバリズムに対して、EU諸国や南米などから反グローバリズム の動きが強まりました。90年代後半からはIT化とインターネットの爆発的普及により現在のようなネット社会の時代が始まりを告げようとしていたが、日本では90年代を「失われた10年」と作家の村上龍は表現すしました。経済面では、1980年代末期から続いていたバブル経済が1990年~1991年に破綻、平成不況と社会不安の一方、ポップカルチャーでは現在の形にほぼ完成された時代となりました。

[ファッション]

90年代はファッション産業のグローバル化が進んだ時代でした。

世界のファッション産業は89年のベルリンの壁崩後「大移動期」に入っていきます。

グローバル化の進展は企業の生産拠点を東欧や中国などアジアに生産拠点を移すことを可能にし、より低賃金で労働力を手に入ることが可能になり、途上国側も外資を導入して輸出産業の振興に乗り出していきます。90年代はIT革命が起こる時期でこの革命はファッションにも大きな影響を与え、流通システムにおける効率化が進み製造から製品が消費者に渡るまでの無駄を省くことにより、原料から最終的に製品が消費者の手元に届くまでのリードタイムの短縮と在庫の削除、コストの削減と経常利益の増加を達成することが成功のキーとなっていきました。

80年代ファッションの特徴、ポストモダンや派手な装飾はよりシンプルなデザインへと変わっていきます。またファッションビジネスもグローバル化の中で、その様相を変えてました。主には、企業戦略、マーケティングなどをメインに置いたデザインで、ライフスタイルをベースにしていました。企業の規模が大きくなるので、より有用性を重視した、リアルクローズが多くを占めるようになり、ミニマルでよりカジュアルなものへと変わっていきます。60、70年代のリバイバルし、ストリートカルチャーがファッションに影響を与え、90年代前半にはグランジファッションが流行しオーバーサイズのゆるいシャツにジーンズスタイルが男女共に主流になっていきました。

『時代を変えた3人のスーパーモデルたち』

90年代はファッションの黄金期であり、同時にモデルという職業の概念を変えた時代であったと言われています。 まず、ナオミ・キャンベル、クリスティ・ターリントン、リンダ・エヴァンジェリスタが三位一体としトップモデルとして君臨した後に、シンディ・クロフォード、クラウディア・シファー、そしてケイト・モスが加わっていきました。

この6人のスーパーモデルたちは「Big Six(ビッグシックス)」と称され、女優やセレブ同様に憧れの存在とし、爆発的な人気を誇りました。


『ジーンズ』

70年代後半から90年代半にかけてファッションデザイナーによってジーンズは急速に取り入れられました。90年代半ばから後半にかけてはプレミアムジーンズが登場。アメリカ西海岸から発信され、ハリウッドなどのセレブやスターが着用したことから、セレブジーンズ(セレブデニム)などとも呼ばれました。プレミアムジーンズの代表的なブランドはディーゼルのほか、マリテ+フランソワ ジルボーセブンフォーオールマンカインドシチズンズ・オブ・ヒューマニティトゥルーレリジョンG-STAR RAWなどで、バックッポケットにそれぞれのブランドによる凝ったデザインの刺繍やプリントが入っていたり、クラッシュやペイント、リメイクなどの加工が施され、レディースからの流れであることからか細身で股上が浅いものが多組みられました。

『ヘルムートラングのミニマリズム』

ヘルムート・ラングが、「ミニマリズムの旗手」と呼ばれていました。

80年代後半あたりから装飾的なものや技巧的なものを排除し、最限の手法でシャープなスタイルを提案し、多くのデザイナーに影響を与えました。

ヘルムートラング自身がデザインし発表していたメンズジーンズは今もなお名作と言われています。シンプルなデザイン自体は、アルマーニやジル・サンダーも早くから取り入れていましたが、「ミニマリズム」と言われるものを完全な形にしたのはヘルムート・ラングと評され、アルマーニはミニマリストと言うよりは、機能性を追及した結果シンプルになったという印象でミニマリストとは表現されないことが多い。

※ミニマリズムとは美術・建築などの造形芸術分野において、1960年代のアメリカに登場した傾向で、必要最小限を目指す手法を指します。ファッションにおいてのミニマリズムは、90年代に主流となりました


アントワープの6人」(Antwerp Six)

ベルギーアントワープに位置するアントワープ王立芸術学院出身の、アン・ドゥムルメステールウォルター・ヴァンベイレンドンクダーク・ヴァン・セーヌダーク・ビッケンバーグドリス・ヴァン・ノッテンマリナ・イー以上の6名のファッションデザイナーの総称である。マルタン・マルジェラも学校が同期でこれと並び称されることが多い。1980年代当時のパリコレクションで一世を風靡していた「コムデギャルソン」(川久保玲)の影響を受けた6名。1980年代後半、6名が共同でロンドンの「The BritishDesigner's Show」にてコレクションを出展、それが注目を集めたことをきっかけにこう呼ばれるようになった。以後、アントワープ発のモードは世界中から注目されるようになります。


アントワープの6人と呼ばれた世代を中心に、ラフ・シモンズヴェロニク・ブランキーノ ・オリビエ・ティスケンスが活躍します。ロンドンからは、アレキサンダー・マックイーンフセイン・チャラヤンステラ・マッカートニなどが登場します。90年代はファッション全盛期で数多くの才能溢れたデザイナーが活躍しました。


『グランジ・ファッション』

グランジファッションとは、1990年代前半に流行したグランジ・ロックから派生したファッション。もともとグランジー(grungy:汚い)という俗語が語源で、アメリカのファッション誌が命名しました。代表的なアイテムは、着古して擦り切れたフランネル地のチェックのシャツやぼろぼろに穴の開いたジーンズや古ぼけて穴の開いたカーディガンやスニーカー等。その他、着くずしや重ね着などが特徴。

ニルヴァーナとグランジ

へヴィメタルやUSハードコアの流れを組む音楽はグランジロックと呼ばれ、ニルヴァーナはその代表的なバンドの一つ。グランジファッションはニルヴァーナのヴォーカル、カート・コバーンらのしていたファッションが一つのイメージとして確立されアメリカのシアトルから広まっていきました。


マルジェラとグランジファッション

ハイファッションでは80年代後半にマルタン・マルジェラが打ち出しスタイルがグランジファッションの先駆と言われています。背景には消費社会を象徴するファッションのシステムへの疑問があり、そこからリサイクルなどの動きがでてきます。これをファッションの中で打ち出したのがマルジェラでした。マルジェラは80年代前半のヨウジ・ヤマモトコム・デ・ギャルソンの影響を受け、古着を素材に、衣服を再構築した「シャビールック」で、ファッション界に衝撃を与えました。 この動きにより、80年代の保守的かつ、ゴージャスな流れが変わったと言われています。マルジェラは80年代後半デビュー時から質素、シンプル、シャビー、知的といった清貧思想的なイメージを作り出します。このような反体制的なスタイルは、70年代のパンクなどと少なからず共通するものがありました。また、マルジェラは、これまで新しいスタイルを提案するというファッション業界の既成概念を崩して、既に発表したコレクションを、過去に発表したもので構成し、それぞれの作品に制作の年を入れるといった試みも行いました。

※シャビールック(shabby look):高級志向の1980年代のアンチテーゼとして、マルタン・マルジェラが80年代の終わりに打ち出した貧困者風のスタイル。色あせたり、ほつれたり、わざと古着風に仕上げるなど、新しい価値観をもったファッションが注目され、90年代の新しい流れを作り上げた。


『ヒップホップ』

80年半ばから90年半ば頃までヒップホップの全盛期をむかえ確固たる地位を築き現在に至ります。ファッションとしての特徴はトレーナー、ゴールドチェーン、スニーカー、トラックパンツがベース。またオーバーサイズのズボンは下着が見えるくらいまで下に落としたり、靴紐は締めないで履くスタイルは刑務所の中から生まれたもので社会に対する不平等を皮肉として表現し、人種問題なども含めこのようなスタイルはヒップホップのアイデンティティを示すものだったのです。90年代半ばに入ると、そのようなヒップホップも反体制の意思とは反し資本主義の中に引き込まれていきます。ラップミュージシャンはスターになりミドルクラスの白人も取り入ていきました。

また、日本でもヒップホップファッションが流行していきました。

Heroin chicとドラッグカルチャー

白い肌、目の下にあるクマ、骨格が浮き出るくらい細いの身体、ベタついた様な髪に濃い口紅。流行のきっかけは1993年にカルバン・クラインの広告にあまりに華奢なモデルが半裸状態で登場したことです。この広告写真は大きな反響を呼び、グラマラスな時代が終わりを告げました。この時のモデルが、ケイト・モスです。

彼女が代表するような骨格がとび出た細い体つき、また顔色が悪く、病的にさえ見えるルックスのことを「ヘロイン・シック」と呼ぶようになりました。

そして、ケイト・モスとヘロイン・シックこそが、次世代ファッションのキーワードになったのです。ヘロイン・シックな女性は、同時にウェイフ・ルックを好みました。「ウェイフ」とは元々「浮浪者」のような意味を持っていましたが、90年代には完全にファッション用語として定着し、主に女性を指す言葉になりました。「ウェイフ」と「ヘロイン・シック」に共通して言えるのは、健康的で清潔感のあるスタイルとは正反対である、ということです。勿論、シンディ・クロフォードに代表されるグラマラス・ボディとも無縁です。

ウェイフ・ルックが台頭してくると、ファッションそのものも、どことなくだらしなくなりました。健康的ではないこの流行に対して危惧する人は多く、当時のクリントン大統領も「アンチ・ヘロインシック」を表明しなくてはならないなど社会問題も同時に起きました。


-日本-

1991年のバブル崩壊により、80年代の派手な雰囲気も影をひそめ、後半になるにつれファッションやヘアメイクも落ちついた雰囲気の物が好まれるなど、変化が激しい時代になってゆきます。Tシャツやジーンズといった活動的でカジュアルなストリートファッションが好まれるなど、あまりお金をかけないファッションに以降しつつある時代になってきます。 しかし若者は勢いがあり「コギャル」と呼ばれていた当時の女の子達は、「茶髪」、「厚底ブーツ」、「ガングロメイク」、「ルーズソックス」などの独自の流行を多く生み出しました。LAファッションや ヒップホップファッション、 グランジロックファッション、スケーターファションなど音楽やスポーツ界のファッションが注目されました。

シャネラー

フランスの女性ファッションデザイナーが興したブランド『シャネル(CHANEL)』に人化する英語の接尾辞『-er』をつけたもので、シャネルのブランド商品を好んで身につける人のこと。服から小物、アクセサリーまで、全身をシャネルで固めた人や大量にシャネル商品を購入する人をさす。後に「アムラー」や「シノラー」など、『-er』を付けて人化する言葉がいろいろ出てくるが、シャネラーはその先がけ。


やまんばギャル

あむらー等ギャル系のブームが流行った90年代でのギャルの最終形態。ガングロと呼ばれ全身を日焼けサロンで黒く焼き目の周りを白いメイクをしている。日焼けサロンも「日サロ」と呼ばれブームとなったが、後の美白ブームで一気に現象の一途をたどった。このころからギャルという言葉が定着し、コギャル、ギャルママ、お姉ギャル、ギャル男等様々なものが出てきます。


※ヘアーメイクの詳細、豊富な画像はメンバーページでご覧いただけます!


[映画]




[音楽]

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